ギブギブギブに相手はいない

2015-10-04 哲学

オレはやたらと、

ギブギブギブ

って言ってる。
そうすると、多くの人が、

自己犠牲的な行為

だと勘違いする。
これってマジで危険。

なんでかっていうと、オレたちは、

苦行や我慢を生き甲斐と勘違いするように洗脳されてきた

からだ。
小さい頃から、そういう価値観を植え付けられてきたからだ。

辛いことをやってる=頑張ってる

みたいな奴隷思考を植え付けられてきているから、

ギブギブギブ

ってきいて自己犠牲的に動いてしまう人が多い。
だから、オレがそういう人に言ってるのは、

ギブギブギブは特定の相手がいない

ってこと。

たとべば、オレが著者とパートナーシップを組むとき、
ギブギブギブなんだけど著者に対してではない。

純粋に、

この著者が多くの人に知られれば救われる人がいる

って信じて、世の中に向けてギブギブギブしてる。

オレはプロデューサーって素晴らしい仕事につけてたんだから、

素晴らしい人を世の中に広める=ギブギブギブ

なんだよ。
だから、特定の相手とかじゃなく、その先にあるものを見ている。

この感覚って超重要で、これを忘れると、ついつい自己犠牲的になっていく。
だって、特定の個人に対するギブって、明らかにテイク求めてるでしょ。

だから、オレは世の中とか、コミュニティに対して、
ギブギブギブしていくって思考が重要だと思うんだよね。

もちろん、特定の人のためのギブだって良い事だとは思うよ。
そういう思うがあるってのは重要だし、ギブできるってのは素晴らしい。

でも、オレの言うギブギブギブは、その先があるってことなんだ。

まあ、とにかくオレが言いたいのは、

自己犠牲ほど無駄なことはない

ってことだ。
まとめめると、

基本、ギブギブギブには特定の相手はいない、

ただし、特定の相手がいる場合も楽しければ良し。
最悪なのは、特定の相手がいて、嫌なことを我慢してる場合だ。
それはギブじゃなくて、自己犠牲だから。

そして、覚えておいてほしいのは、

オレたちは自己犠牲が好きになるように洗脳されている

っていう恐ろしい事実があるってことだ。

結局、言葉を奪われることで。自己犠牲を受け入れてしまうんだ。
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