消極的な「責任」、積極的な「責任」

2014-10-01 イベント, 哲学

オレは「責任」という言葉は嫌いでもあり、好きでもある。
嫌いな理由は、なんか罰のような感じがするから。

「責任をとらされる」

とか

「私の責任です」

みたいな。
そんでもって、意外と多くの人がそうやって「自分を責めている」気がする。
人生でうまくいかなかったこととか、迷惑かけたこととか…。

全部、自分のせいって思い込んで生きてる人がいたりする。
ほんと、くだらないなって思う。

結局、こうやって自分を責める人って、自分のことをどっかで特別だと思ってるんだ。
だって、そうでしょ。何かの原因が自分だって感じるってことは、
自分は何かに影響を及ぼす人間だって認めてるわけだから。

オレは『吾輩はクソである』って電子書籍を書いているように、結局、
どっかで多くの人がくだらないプライドにしがみついてしまってるわけ。

クソって認めると、一度、まったくの「無」になるわけ。
他人に植え付けられた自分から抜け出さなきゃ、
いつまでたっても自分を責めることになる。

そもそも、どんなに無責任に生きたって、自分の人生は全部自分に降り掛かってくるんだ。
そして、何が起こるかわからないことを怖れて、責任から逃れようとして生きてしまう。

その結果、「責任」に追われることになるんだ。

だから、自分を責めたり、申し訳なさそうに「責任」をとるって行動に出る。

でも、よく考えて欲しいね。

どうせ、自分の人生に降り掛かるってことは、どうせ「責任」は取らされるわけ。
だから、オレは積極的に「責任」を取りにいけって言ってる。

どんどん約束し、どんどん人に関わり、どんどん迷惑をかけていく。
さらにオレがセミナーなんかでも教えてるのは、

「他人のミスすらかぶってしまえ。それオイシイから」

ってこと。

そう、責任は取り過ぎくらい積極的にとっていくと、まじでエネルギーが湧くんだよ。
そりゃそうだよね。

良い結果も悪い結果も全部自分の手柄になるわけだ。
人生なんて勝ったり負けたりなんだから。

でも、「責任」に対して消極的だと、「責任」が重く感じ、
悪い結果だけを自分の手柄にしてしまい自分を責めることになるんだよ。

だから、これからは積極的に「責任」をとっていこう。
いや、無責任に「責任」をとっていこうのほうがいいな。

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